高野山

久々の更新です。
 昨日と今日、高野山に行ってきました。ずっと曼荼羅に興味を持っており、念願が叶いました。昨日の朝九時頃に自宅を出発し、高野山に到着したのは昼過ぎくらいでした。意外に近いような気もしました。道中は、さすが金剛密教の聖地であるのか険しい山道を車で登って行きました。
 到着してまず、「奥の院」というところに行きました。いろんな人の墓がありまして、歴史的著名人の墓が何でこんなに沢山あるのかと素朴に疑問に思ってしまいました。織田、豊臣、前田、伊達、法然親鸞等数え上げれば、きりがありません。この場所は結構広かったです。それから、「金剛峰寺」に行きました。庭園、屏風等がすばらしかったです。晩は、宿坊に泊まりました。晩飯は、精進料理だったのですが、めちゃおいしくいただけました。味付けは意外に濃い感じかもです。

 今日は、朝7時から朝のお勤めを少し体験?しました。って座っていただけですがね。それから朝一番で「壇上伽藍」に行きました。ここが高野山の中心とあって、曼荼羅の世界を展開してるようでした。それから「霊宝館」へ行きました。ここは、いろんな展示物があって、美術館のような感じでした。そこで、曼荼羅の本を買いました。それから少し高野山の町を少しぶらぶらしてました。最後に、「徳川家霊台」と「女人堂」へ行きました。

 高野山での僕の滞在は、ざっとこんな感じでした。まだまだ高野山のことが分かっていないので、また来たいです。

 

ルーマンとハーバマス

 社会システム理論家と批判理論家という二人の人物。好対照であり、補完的な関係でもある。工学的(エンジニアリング的)な要素をもったシステム理論、設計主義的、機械的、テクノロジー的な前者。人文的(リベラルアーツ的)な要素をもった批判理論、マルクス主義的、哲学的な後者。勉強するの深い前提として、常に、この二つの考え方があった気がする。文系的な僕は、ハーバマス的なものに沢山触れてきた気もするが、橋爪大三郎宮台真司小室直樹にも沢山触れてきて、工学的なものにも触れてきたとも思う。ウェーバー、デュルケム、マルクスといった古典的な社会科学系な文献、ソクラテスプラトンといった人文的な文献も触れてきたのかな。なんだかよくわかならくなってきたが、今年で30歳になったんですが、なんとなく自分の30年の人格形成に関与してきたものを振り返ってみたくなった。だから、ルーマンとハーバマスということなのかなと。けっして、この二人の文献を沢山読んできたわけではないのだが、象徴としてだ。

宮沢喜一とローティ

 6月28日に二人の人物の訃報が流れた。一人は宮沢喜一、もう一人はリチャード・ローティ
宮沢は、リベラルと保守が混ざったような人という印象。唯一の戦前からの日本国政府の中枢
にいた人物である。ローティは、アメリカの哲学者であり、プラグマティズムをベースにした
リベラルアイロニストである。

幸福論

 宮台、鈴木、堀内の『幸福論』を読んだ。幸福とは何かというより、幸福な社会を設計することは可能なのかというテーマに沿って議論されていた。大きく言えば、制度、政策を決定する政治プロセスの話とそれをささえる教育の話の日本柱だった気がする。結局、エリート論になるのかも。一部の能力のある人がソーシャルデザインを決め、民衆はそれに従う。そして、そういうエリートと民衆を作る教育のあり方についてのテーマだった。

数学的思考法

 芳沢光雄著の『数学的思考法 説明力を鍛えるヒント』を読んだ。数学の必要性を説く新書だった。なんだか、ハウツー本みたいな感じがしたので、さらっと読んだ。試行錯誤や深く考えることの道具として算数、数学があり、それを徹底的に鍛えることで、説明する力、論理性が身につくと考えているようだ。暗記することには、あまり重視していないように感じた。でも、僕は、暗記することも必要だと思う。暗記することで、考えるネタができると思うからだ。