コンピュータと建築と仕事

□コンピュータと建築
 最近、ここ10年間を振りかっている。大学を卒業したのが平成13年(01年)3月だったので、学生という身分でなくなってから、早いもので10年あまりになる。僕は大学卒業後、市役所で勤めだした。平成13年(01年)4月から平成18年(06年)3月までは、戸籍、住民登録関係の仕事をしていた。その後、平成18年(06年)4月から今年の3月まで生活保護の仕事をしていた。そして、今は教育委員会で学校のハード面での仕事をしている。
 大学時代は、しいて言えば人間発達、福祉の勉強をしていた。あの頃は、まだ今ほどインターネット環境が整っていなかったので、主な情報源は書物であった。ピアジェヴィゴツキー、ワロンらの書物を読んでいた。しかし、ほとんど覚えていない。唯一、ヴィゴツキーの『言語と思考』のみは辛うじて読んだ記憶があるのみだ。
 また、学部が産業社会学部であったので、一応、社会学の本も読もうと思い、橋爪大三郎の『社会学講義』を読んでいた。
 今から考えると、大学時代に何をどのように学んでいたのか、果たして役に立ったのか分からない。
 就職してから、社会に出てから、社会科学関係の書物(法律、行政、経済等)を仕事に役立てるために読んできた。小室直樹橋爪大三郎宮台真司、大沢真幸等の人文社会学系の人たちの書物も読んできた。でもなんだか身になっていない。経済関係では中谷巌、マンキュー、セン、竹中平蔵等を読んだ。でも、結局身についていない。
 ここ数年は、コンピュータ、建築関係の書物を読んでいる。レッシグ隈研吾がその代表格。なぜかといえば、言語、構造、設計、構築、計画、機能ということをキーワードにしてるからだ。なぜ、キーワードにするかといえば、自分に欠けている要素であり、今後の仕事、生活において必要となる核のように思うからだ。その関連で、数学、英語も再度見直す必要がある。なぜか。思考の基礎であるからだ。ヴィトゲンシュタイン、ラッセル、ギデンズ、レッシグレヴィ・ストロースも読んでいる。ただ、読んではいるものの、自分の人生、仕事、生活にプラスに働いているかどうかは疑問だが。

□仕事について
 僕は今、教育委員会で仕事をしている。
 主な分野は、小中学校のハード面での支援である。具体的には、学校施設の維持管理にかかわる委託契約関係(エレベータ保守点検、電気設備保守点検、消防設備点検等)、学校施設内の備品等の購入リース契約関係(教育用PC、複写機、印刷機等)、電気代等の支払い関係という大きく分けると3つになる。
 今年、一番の目玉は、なんと言っても教育用PCの更新である。僕はPCに関して詳しくないので、かなり不安である。このために、コンピュータの本、コンピュータを設置する空間のために建築の本を読んでいる。でもあまり理解できていない。せっかく事業を行うのでより良いものをしたいという思いはあるのだが。



 
 
 
 

無線ルータ

 昨日、山田電器でバッファローの無線ルータを買いました。
我が家は各部屋に有線LANがあるのですが、HUBが故障してしまい、
暖房の部屋でのインターネットができない状況が続いてました。
ここ数日かなり寒くなってきていたので、思い切って買いました。
購入して思うことは、やっぱり線がないのは便利であるの一言につきます。
移動の自由はすばらしいです。

 ちょっと読書したので、簡単に感想を書いてみたい。
 「ニッポンの思想」、「10宅論」、「哲学としての仏教」の3冊。すべてを読んだわけではなく、さらっと読んだだけだが。
 僕は思想には関心がある。時代に影響を与えるようなものがそこにあるような気がするので。「ニッポンの思想」では80年代からゼロ年代のそれぞれを代表する人物を紹介している。僕はそのいずれの人物もじっくり読んだわけではない。それでも宮台さんにはマル激とか本を読んだことはあるので、多少は影響受けていると思う。それと東さんも本を読んだことくらいはある。ニッポンの思想を読んで、それぞれの特徴は分かった気はするかな。

 「10宅論」は、自分の家がどれに当てはまるのかなと思って読んでみた。ペンション系に近いのかな。でも自分が設計した家ではないのだが。

 「哲学としての仏教」は、ちょっと内容が難しかった。でも、仏教も学問なんだと思った。生と死について考える道具なのかなと思った。

 鬼界彰夫の「ヴィトゲンシュタインはこう考えた」を読み終えた。
「論考」と「探究」は購入し、読んだことは読んだが、なかなか内容理解が難しかった。
この本を読むことにより、ヴィトゲンシュタインの人生、考えたことについて触れること
でき、ちょっと理解が深まった。

 昨日、橋爪大三郎著の「はじめての言語ゲーム」(講談社現代新書)を滋賀県大津市にあるショッピングモールにある本屋で購入した。さっそく、昨日の晩から今日にかけて読んでみた。全体的な感想としては、言語ゲームが何なのかということが分かったような分からないようなというフワフワした感じだ。僕は、橋爪氏には大学時代からシンパシーを持っていたので、橋爪さんの本は何冊か読んでいるが、まだまだ理解できない部分が多い。

 僕は、今一番気になる学者は、anthony giddensとgregory mankiwです。とはいえ、この二人の書物を沢山読んできたからの結論というわけでない。なんとなく、この二人が気になるだけなのです。
 学生の時は、自分のこと、精神のこと、自分の人生のことがすごく気になっていました。だから、心理学系、教育系、ミクロ社会学系、そして哲学系の書物を沢山読んだ気がします。
 そして、大学を卒業し、一地方公務員として地元の役場で働くようになってからは、社会のこと、法律のこと、経済のこと?が気になってきて、マクロ社会学系、法律学系、政治系、経済系の書物を読むようになった。
 今は、giddensとmankiwの本を読んでいます。しかも原語で、あまり意味わからず読んでいるのですが、いつかわかる日が来ると信じて。
 

 昨日、橋爪大三郎著の「はじめての言語ゲーム」(講談社現代新書)を滋賀県大津市にあるショッピングモールにある本屋で購入した。さっそく、昨日の晩から今日にかけて読んでみた。全体的な感想としては、言語ゲームが何なのかということが分かったような分からないようなというフワフワした感じだ。僕は、橋爪氏には大学時代からシンパシーを持っていたので、橋爪さんの本は何冊か読んでいるが、まだまだ理解できない部分が多い。