社会に入って、10年ほどになる。
 戸籍、住民基本台帳の仕事、ケースワーカー、施設の維持管理等をしてきた。
 社会に入るまでは、自分のこと、人間のことに関心をもち、発達心理、社会心理をかじった。
 社会に入ってからは、制度のこと、法律のことに関心をもち、社会科学系をかじった。
 でも、どちらもあんまりものにはならなかったな。
 今年34歳、来年で35歳になる。
 なんだかな。
 月日だけが流れた。
 前にも同じようなことを書いたような。
 で、なぜ、このタイトルかと言えば、今、参考に見ている本のタイトルが行為の本、権力の本だからだ。
 この2冊は、最近買った本ではないのだが、ちょっと読みたくなって。

 竹田青嗣の新書を読んだ。
 哲学には、それなりに関心はあり、ラッセル、ウィトゲンシュタインらの書物を読んだことはあったが、カント・ヘーゲルは一度も読んだことが無いことに気がついた。とはいえ、原文ではなく、解説本なので、読んだうちにはならないが、ちょっと気になったので、買ってみた。
 カントのほうは、それなりにおもしろく読めたが、ヘーゲルは、あまりよく分からなかったというか、関心がひかれなかった。
 最近、実用的なことに関心を持ってしまうというか、いろいろな書物を読んできたが、あんまり意味無かったのかなと思うところもある。哲学も、そのうちの一つのような気もして、結局、今回読んだ書物も読む前と読んだ後で、何も変わっていないような気はする。
 

今日は、5.15。

近頃、いろいろ考えさせられることがある。
ひとことでいえば、人生は空しいということ。

大きな衝撃を与えた3.11。
地震津波、そして原発事故。
コツコツと積み重ねてきたものが一瞬で無くなる。
いろいろなものが、あっという間だ。

何が大切なのか?
答えは簡単、命である。

それなのに、僕たちは、どうでもいいことに時間を費やしすぎているのかもしれない。

 原広司さんの『空間<機能から様相へ>』を読んでいる。原さんは、建築家であり、京都駅ビルを設計した人。京都駅ビルは、学生時代に、通学のため毎日といっていいほど、利用していたので、ちょっと親近感もある。まだ、序章しか読んでいないが、建築論から都市論へと展開しており、文化的な要素も交えながら、哲学的なところもあったりして、参考になる。一言でいえば、近代社会論という印象。近代建築は均質性が特徴であると原さんは述べている。僕なりに言えば、汎用性があるということ。つまり、ユーザー、クライアント側の目的により変形可能とのことであり、悪く言えば、どれも同じであるということ。人の生活は多様化していると言われているけど、これとは反対に、風景は、どんどん一元的な方向に進んでいるような気がしないでもない。(つづく)

 最近、数学の大切さを感じ、ちょっと復習中です。具体的には、?集合、?線形代数(行列・ベクトル)、?微積、?確率・統計

 また、英語の大切さも感じています。具体的には、?anthony giddensの「The constitution of society」、?itunesUの様々なvideo

フッサールとレヴィ・ストロースとピアジェ

 『現象学入門』(竹田青嗣著)を読んだ。僕は現象学に興味はあったが、ちゃんと読んだことなかった。主にフッサールの思考についての内容であるが、ヴィトゲンシュタインと相通じるところがあるような気がした。独我論から出発するところがまさしく。何事をも疑うことが始める姿勢というのは大切であると思う。でもだんだん疑うのがめんどくさくなったり、保守的になったりして、信じ込むようになっていく。毎日の生活に埋没していくと、時間的余裕もないし、考えることができなくなっている。根本的に頭の出来の問題かもしれないが。
 『闘うレヴィ・ストロース』(渡辺公三著)を読んでいる。『構造主義』(ピアジェ著)も読んでいる。構造主義にも関心があるのだが、いまいち分からない。二項対立を乗り越える思考であるとか、西洋至上主義に対抗する思考であるとかいわれているが、ちょっと難しい。「構造」の意味、本質をとらえることがなかなかできないでいる。