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先日、ブックオフで、苫米地英人氏の本が目にとまったので、思わず購入した。
2冊買ったのですが、比較的薄い本でもあったこともあり、あっさり読んでしまいました。
苫米地氏と言えば、洗脳というキーワードで有名かもしれませんが、意外に面白く読むことができました。
ジャンルは、いわゆる自己啓発本の類になると思いますが、氏が言いたいことは、自分の思考で考えることが大切であり、
しかも抽象的思考で考えることがいかに大切か、またゴール意識をもち、未来から現在をとらえることがいかに必要であるかということであると感じました。
僕は、学生のころ、発達の勉強をし、その中でヴィゴツキーというロシアの心理学者の書物に出会いました。その書物の名は「思考と言語」。また学部が産業社会学部であったため、橋爪大三郎という社会学者の書物に出会いました。その流れで、ヴィトゲンシュタイン、ラッセルに出会いました。彼らに共通するのは、言語、言葉がいかに社会・人間の思考・世界を規定しているかということでありました。そういうこともあってか、苫米地氏の書物は、その関係のなかでとらえることが可能であると感じ、なんとなく面白かったです。
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私は些細なことで、くよくよしてしまいます。
とくに視力のことにはナーバスになってしまいます。
少しでも暗いところで作業をしてしまうと、目が悪くなってしまったのではないか、1時間を超えてパソコン操作、読書、テレビ視聴等の比較的近距離での作業をすると目が悪くなってしまったのでないかと。
経験的に、それぐらいで目が悪くなったこともないし、おそらく科学的にもそうではないとは思うのですが(過度な酷使は別として)、どうしてもいったんそのことで悩んでしまいます。その悩んでいる時間がもったいないとということも分かっているのですが、なかなか治りません。
というわけで、ここで宣言します。今後は、一切、視力のことで悩んだりしないと。少々の暗さ、少々の目の酷使で視力低下するほど人間の目はやわではないと。きっと、自分のことを考えすぎているでしょう。
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竹田青嗣の新書を読んだ。
哲学には、それなりに関心はあり、ラッセル、ウィトゲンシュタインらの書物を読んだことはあったが、カント・ヘーゲルは一度も読んだことが無いことに気がついた。とはいえ、原文ではなく、解説本なので、読んだうちにはならないが、ちょっと気になったので、買ってみた。
カントのほうは、それなりにおもしろく読めたが、ヘーゲルは、あまりよく分からなかったというか、関心がひかれなかった。
最近、実用的なことに関心を持ってしまうというか、いろいろな書物を読んできたが、あんまり意味無かったのかなと思うところもある。哲学も、そのうちの一つのような気もして、結局、今回読んだ書物も読む前と読んだ後で、何も変わっていないような気はする。
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原広司さんの『空間<機能から様相へ>』を読んでいる。原さんは、建築家であり、京都駅ビルを設計した人。京都駅ビルは、学生時代に、通学のため毎日といっていいほど、利用していたので、ちょっと親近感もある。まだ、序章しか読んでいないが、建築論から都市論へと展開しており、文化的な要素も交えながら、哲学的なところもあったりして、参考になる。一言でいえば、近代社会論という印象。近代建築は均質性が特徴であると原さんは述べている。僕なりに言えば、汎用性があるということ。つまり、ユーザー、クライアント側の目的により変形可能とのことであり、悪く言えば、どれも同じであるということ。人の生活は多様化していると言われているけど、これとは反対に、風景は、どんどん一元的な方向に進んでいるような気がしないでもない。(つづく)